湿った風が網戸を押し、潮の匂いが部屋に薄く残る。波の音は遠いのに、夜の気配だけは近い。娘の寝息を確かめながら、「石垣島移住の撤退」という言葉を机の上に置いていた。
好きな場所ほど、決めるまでに時間がかかる。好きだからこそ、続けたい。けれど、決めないと暮らしが回らない日が、静かに増えていく。
好きなまま、選び直す
島を否定せずに続ける条件だけを並べ、医療・教育・支援の三軸で線を引いた結果、いまは本土へUターンするほうが無理が少ないと判断した。その過程を、感想ではなく体感として残す。

この記事でわかること:
- 撤退を失敗として扱わず、生活の安全と継続性で判断する視点を持てる
- 迷いが増える要因(医療・支援距離・季節の移動)を切り分けて整理できる
- 決断を先延ばしにしないための確認順(何を優先して見るか)を作れる
用途:判断を長引かせず、家族にとって安全な選択を“順番”で出すため。
石垣島の夜は、やさしいまま重い
石垣島の暮らしは、景色より先に湿度が触れてくる。洗濯物の乾き方、床の手触り、窓を開けたときの空気。そういう小さなものが積み重なって、暮らしの速度を決める。
海の近さは、たしかに心をほどく。買い物の帰りに遠回りをして、娘を抱いたまま海を見て帰る日もあった。島の時間は、焦らせるより先に「いまここ」を濃くする。
それでも、子育ての初期は、予定が崩れること自体が予定になる。寝不足のまま、家事の順番がずれ、外に出る段取りがひとつ遅れる。その“ひとつ遅れる”が続くと、気持ちは静かに摩耗する。
島のやさしさと、家族の余力は別のものだ。その二つを同じ棚に置けなくなっていった。
「段取り」が不安を大きくした
医療のことを語るとき、言葉は強くなりやすい。だから、ここでは断定しない。ただ、暮らしが現実に戻った瞬間のことは書ける。
妻が、専門医の診断が必要な病気になった。島内で相談できる先をいくつか当たり、診てもらえる可能性を探した。けれど、返ってくるのは「沖縄本島、あるいは本土の専門医(専門病院)を検討したほうがいい」という案内だった。診断や検査の段階で、島の外へ視線が移る。その現実が、医療への不安をはっきりした形にした。
娘もいる。何かあったときに、身動きが取りにくい状況は避けたい。怖かったのは病名もそうだが、相談、移動、同伴、待ち時間――そして、みんなの体力が持つかどうかだった。しかも、不安定な状況でも、飛行機の手配、病院の予約、宿の確保を進めないといけない。体調の揺れと段取りが同時に走り出すと、暮らしの足元がふわりと浮く。
距離は地図ではなく、負荷として現れる。島の暮らしにある“出口の細さ”を、私は現実の重さとして受け取った。
台風が近づくと「明日」が組み替えになる
島の移動は、天候と隣り合わせだ。八重山の島どうしは船で繋がっているけれど、沖縄本島や本土へ行くには基本的に飛行機が前提になる。

雲が厚い程度でどうこう、という話ではない。台風の進路予報が出ると、翌日の見通しが一気に揺れる。欠航や遅延の可能性が現実味を帯びて、予約や宿の段取りがまとめて組み替えになる。
島外へ出る用事は、飛行機の見通しが変わると簡単に組み替えになる。困るのは移動そのものより、同伴や宿の手配まで連鎖して増えることだ。子どもがいると荷物も増え、待つ時間はそのまま疲労になる。家計の負担だけでなく、「帰れないかもしれない」という心理的な重さが残る。
撤退の判断は気持ちだけでなく、物流・買い物・受け取りの負荷が積み上がって効いてくる。台風前提の物流の現実は『石垣島の通販と物流|台風前提で考える在庫管理と受け取り方』にまとめている。
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石垣島の通販と物流|台風前提で考える在庫管理と受け取り方
石垣島は届くのが遅れやすい前提で、在庫と代替候補を決め、早めの注文と再配達・営業所受け取りで揺れを抑え、不安を減らす。
こういう日は、ふだんより言葉が少なくなる。決めることが増えると、気持ちは小さく縮む。予報が出た時点で揺れが始まる――その前提が、暮らしの中に残っていた。
支援の距離は、立て直しやすさに出る
島には助け合いがある。声をかけてくれる人もいる。小さな親切が日常に混ざっていて、何度も救われた。
ただ、育児は孤立すると判断が遅れる。助け合いの温度と、親族の近さや、いざという時に同伴してくれる人の距離は別の話だ。疲れが続くと、「ここで踏ん張る意味」と「いま動く意味」が、同じ重さで並び始める。
相談できる相手が遠いと、決める話が夜に回ってくる。夜に決めることが増えるほど、翌日の余力は薄くなる。たとえば数時間だけ子どもを見てもらえるだけで、暮らしは驚くほど立て直しやすくなる。支援の距離は、崩れた日から戻る速さに、そのまま出ていた。
教育のことは、もっと先の話にも見える。けれど、支援と同じで「迷いが増えたときに相談できる場が近いか」を気にするようになった。これは未来の話で、支援は今日の話だ。今日が回らないと、未来の話は疲れる。
残るでも逃げるでもなく、条件を更新した
撤退を決めるのは、気持ちの強さではない。むしろ、気持ちを責めないために、言葉の置き方が必要だった。
島に残りたかったわけでもないし、本土への引っ越しは楽しみだった。逆に、島から一刻も早く出たいと思っていたわけでもない。ただ、家族の将来に必要な条件が、少しずつ合わなくなってきた。それだけだった。

楽しみもあった。でも、好きな場所を手放す痛みも同じだけ残った。だから、結論を急がずに「条件のほう」を先に並べた。迷いを減らしたのは正解探しではなく、順番を決めたことだった。
条件を並べた順番:
- 医療:島内で完結しない可能性が出たとき、家族の体力と段取り(相談→移動→同伴→帰宅後)を抱えられるか
- 支援:回らない日が続いたとき、頼れる距離(親族/同伴者/相談先)が現実にあるか
- 交通:台風期でも動ける前提(飛行機・宿・予定の組み替え)を、家計と時間の余白で受け止められるか
決めた後に整えたこと:
- 言葉:島を貶さず、「嫌になって出たわけではない」と言える形を先に用意する
- 作業:住まい/仕事/手続き/荷物を分解し、区切りを決めて進める(例:今日は手続きだけ、今日は荷物だけ)
振り返りと、これからの線引き
石垣島移住の撤退は、私にとって失敗談ではない。ライフステージが更新され、必要な条件の順位が入れ替わっただけだ。島で得たものは確かにあり、あの時間がなければ、暮らしの基準も育たなかった。
好きな場所は、好きなまま残しておく。離れた理由を正当化するために貶さず、湿度も、光も、家族の中にそのまま置いておく。だからこそ、条件が変わったら選び直す――それを、前向きな習慣として持っておきたい。
あの蒸し暑い空気と灼熱の太陽は、いまも嫌いになれない。
※料金や契約条件は変更されることがあります。最新の内容は、石垣市や関係機関・事業者の公式案内で必ず確認してください。
※本記事は個人の体験に基づく一般的な情報であり、特定の行動や結果を保証するものではありません。医療・法務・金融など専門的な判断が必要な事項については、必ず公的機関や専門家の情報・助言を確認してください。
(筆者注:移住者の視点で執筆/最終更新:2026-01-13)
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