
朝の空港ロビーには、まだ東北の冷たい空気の名残が身体に貼りついている。ガラス越しの白い光と冷房の風の中で、私は石垣島行きの便を待ちながら、移住にかかる費用と、これからの仕事・住まいを何度も頭の中で並べ替えていた。限られた貯金でどこまで暮らしを整えられるのか、その目安がはっきりしないままなのが、いちばん落ち着かなかった。
90日で暮らしの土台を決めておく
移住の成否を最初から決めようとするのではなく、到着からの90日で使えるお金と整えたい生活の下限ラインだけを先に決めておくと、途中で計画を練り直すことになっても、自分を責めずに暮らしを立て直しやすかった。
この記事でわかること:
- 東北から石垣島へ移住したときの初期費用と仕事・住まいの全体像をざっくりつかむ
- 寮経由と賃貸経由それぞれで、初期費用や心身の負担がどう変わるかをざっくり比較する
- 到着後90日と最初の7日をどう使うか決めておき、無理しない暮らしの線引きを用意する
石垣島の環境と今日の場面を切り取る
私が東北から石垣島へ移住したのは2006年ごろのことだ。距離にすればおよそ2000km、独身・車なしで、最初に暮らしたのは職場が用意した相部屋の寮だった。空港から街へ向かうバスの窓を開けると、冷房の風の底に湿った空気がまとわりつき、冬の乾いた空気に慣れた身体には、同じ日本でも別の季節に紛れ込んだように感じられた。

寮は3LDKの間取りで、一人ひとりに小さな個室があり、リビングとキッチン、浴室とトイレを数人で共用する。夜勤明けで眠っている人がいれば足音やドアの音を抑え、洗濯機が回る時間もなんとなく気を遣う。家賃と光熱費は給料からまとまって差し引かれ、冷蔵庫や洗濯機を自分でそろえる必要はない。その最低限の家電がある安心感と、常に誰かと同じ空間を共有している窮屈さが、同じ間取りの中に同居していた。
寮から職場までは自転車で20分ほど。途中にはスーパーやドラッグストアがあり、生活に必要なものはひと通りそろうが、夏は突然のスコールで足止めされることも多い。買い物袋を提げて軒先で雨宿りをしながら、東北での一人暮らしと比べて、ここでは何にお金をかけ、何をあきらめるのかを静かに考える時間が増えていった。
暮らしが崩れやすい瞬間を認める
イメージしていた移住計画は、実際に暮らし始めると少しずつ形を変える。荷物の発送費や、島に着いてすぐに必要になる生活費と寝具などの生活必需品をそろえる費用を合計して「このあたりまでなら出せる」と枠を決めていても、現地に着いてからの細かな買い足しが増え、静かに出費がふくらんでいくことがあった。
寮での共同生活でも、心がすり減る瞬間は何度か訪れた。生活リズムの違いで、家にいるときは昼夜問わず生活音に気を配り、自分が疲れているときほど小さな物音に敏感になる。誰かが悪いわけではなくても、「ここは自分の家だ」と言い切れない空気が続くと、体調と気持ちのどちらかが先に揺らぎやすい。

同じ寮で暮らしていた人や職場の人の話を聞いていると、寮やシフトの条件が「聞いていた話と少し違った」という例も決して少なくなかった。台風接近時の勤務扱いや残業時間の目安、退去時の費用などをあいまいなままにしておくと、いざというとき一気に不安が噴き出す。そういう場面では、無理に前へ進もうとするよりも、「ここで一度立ち止まる」と決めてしまったほうが、長い目で見ると暮らしが崩れにくかった。
無理しないための小さな工夫
東北から石垣島へ移ったとき、私は「完璧な段取り」よりも「崩れても立て直しやすい仕組み」を優先した。ここでは、そのとき助けになった小さな工夫をいくつか挙げておく。どれも、できる日は動いて、無理な日はやめる前提で考えていたものだ。
- 移住前に、家賃や食費、通信費など毎月かかるお金と、荷物の発送や個人用の生活家電、寝具など生活必需品をそろえる費用など一度きりの支出をノートの左右に分けて書いた。金額はおよそ30〜40万円の幅で見込んでいたが、正確さよりも「これ以上は使わない」と自分なりに決めておくほうが、後の迷いを減らせた。
- 寮を「永住先」ではなく「最初の90日間の仮拠点」と位置づけた。最初の3か月は寮で暮らしながら、歩ける範囲の街並みや生活動線を少しずつ確かめる。もし賃貸に移るなら、家賃と通勤時間、湿度や風通しの具合を見てからにしよう、とあらかじめ決めておいた。
- 到着から7日間でやっておきたいことを、「この週にできればうれしいこと」として箇条書きにした。市役所と銀行の手続き、職場の面談、病院やスーパーの位置、台風時の備蓄の確認などを並べ、体調が厳しい日は1つだけこなすか、思い切って休むことにした。
- 契約前や面談のときに聞いておきたい項目は、紙か携帯電話のメモにまとめた。光熱費の上限や残業時間の目安、暴風警報時の勤務扱いなど、そのまま読み上げれば質問リストになる形にしておくと、緊張していても聞き漏らしが減った。
実際に暮らす場所そのものを選ぶときは、数字だけでなく「朝・昼・夕でどんな導線になるか」を一度歩いて確かめておくと、あとからのギャップが少なかった。石垣島での地域調査の回り方は、移住前の下見に絞ったガイドとして別の記事「石垣島 地域調査の下見1週間|朝・昼・夕で導線を確かめる(移住下見ガイド)」にまとめている。
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石垣島 地域調査の下見1週間|朝・昼・夕で導線を確かめる
石垣島への移住前に7日間地域を歩き、朝・昼・夕の徒歩時間の最長値から、自分に合う範囲を少しずつ無理なく静かに選んでいく。
振り返りと、これからの暮らしの線引き
石垣島での最初の90日を振り返ると、「いつ生活が完全に黒字になるか」よりも、「いつまでここで試してみるか」を先に決めておいたことが、気持ちの安定につながっていたと感じる。当時の自分が頭の片隅で考えていた選択肢は、大きく3つだった。
- ここで続けるか
- 別の賃貸に移るか
- 島を離れて、考え直すか
当時の時給は今より低く、月の手取りはおよそ10〜12万円の範囲だったので、生活費を7〜9万円ほどに抑えられるかどうかを1つの目安にし、それを越えそうになったら暮らし方を見直す合図にしていた。
今は最低賃金や物価も変わっていて、ここで挙げた金額そのものは、現在の基準にはそのまま当てはまらないかもしれない。とはいえ、「同じお金でも、何に対して払っていると思うかで疲れ方は変わる」という感覚は変わらない。家賃ひとつを取っても、共同生活の負荷を受け入れて手元に現金を多めに残すのか、静かに眠れる一人部屋に払うのかで、仕事終わりの余力は違ってくる。台風や湿度による消耗をどの程度織り込んでおくかも含めて、自分が優先したいものを先に決めておいたほうが、あとで悩みにくかった。
当時は単身で移住したが、今あらためて考えると、もし将来パートナーや家族と移住するなら、「旅行の延長」ではなくここから日常が始まる前提を最初から言葉にして共有しておいたほうが、お互い少し落ち着きやすいだろうと感じている。観光で心地よかった場所も、暮らしの中では買い物や通院の動線として見え方が変わる。その変化を前提に、自分たちが守りたい線を静かに探していくことになる。
暮らしは、自分で引いた静かな線から始まる。
※台風や湿度、気温などの詳しい統計は、気象庁など公的機関が公開しているデータが参考になる。
※本記事は個人の体験に基づく一般的な情報であり、最新の状況や安全上の注意は、石垣市や関係機関・事業者の公式案内で必ず確認してください。
※本記事は特定の行動や結果を保証するものではなく、医療・法務・金融など専門的な判断が必要な事項については、公的機関や専門家の情報・助言の確認を前提としてください。
(筆者注:移住者の視点で執筆/最終更新:2025-12-12)
―― 我門(がもん)|暮らしをことばに残す人
迷いを減らす補助線として、近い論点の二本をそっと添えておきます。
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