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リュック一つで石垣島へ移住した|「何とかなった」を今振り返る

2026年8月19日

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リュック一つで石垣島へ移住した|「何とかなった」を今振り返る

2026年8月19日

石垣島へ移住したとき、最初に持っていった荷物はリュック一つだった。

こう書くと、ずいぶん思い切った移住に見える。ただ、実際には少し違う。何も持っていなかったわけではなく、実家にはあとから送ってもらう荷物をまとめてあった。

そして、何も決まっていなかったわけでもない。最初に泊めてもらう友人宅はあったし、知人経由で居酒屋の面接も決まっていた。

とはいえ、その先の住まいまでは決めていない。

今振り返ると、準備していたのか、していなかったのか、微妙なところである。

石垣島の青い海と空

リュック一つで石垣島へ。その先の住まいは決めていなかった

2000年代半ばごろ、私は東北から石垣島へ単身で移住した。当時は独身だった。

石垣島へ行ったら、まず友人宅に泊めてもらうことになっていた。ただ、いつまで泊めてもらうのかは決めていなかった。仕事については、知人経由で居酒屋の面接が決まっており、私はほぼ採用されるつもりでいた。

だから、最初の寝る場所と仕事の入口くらいはあった。

その先は、ない。

いつ友人宅を出るのか。次にどこへ住むのか。そこまでは決めていなかった。

実家には、住む場所が決まったあとに送ってもらう荷物をまとめていた。服や靴、パソコン、本などである。でも、送り先がない。なので最初は、着替えなど最低限のものだけをリュックに入れて石垣島へ渡った。

リュック一つで移住したというより、荷物を送る住所がまだなかった、というほうが近い。

それでも当時の私は、生活への不安はほとんどなかった。「何とかなる」「どうにかなる」と思っていた。

行き当たりばったり。ただ、帰るつもりがないというだけだった。

最初の仕事を辞めても、「どうにかなる」と思っていた

石垣島へ来てから、私は友人宅で暮らしながら、知人経由で決まった居酒屋で働き始めた。そして、約1週間で辞めた。

辞めた理由や経緯はここでは詳しく触れない。辞めた時点で、次の仕事は決まっていなかった。住む場所も、相変わらず友人宅である。

最初の仕事だけ辞めた
青い海と桟橋が広がるリゾートビーチの風景
石垣島へ移住して最初の仕事を約1週間で辞めた|それでも島を離れなかった

石垣島へ移住して最初の仕事を約1週間で辞めた。次の仕事は決まっていなかったが、島を離れることは考えなかった。当時の行動を今振り返る。

それでも私は、特に不安を感じていなかった。

泊めてもらっていた友人がリゾートホテルで働いていたので、求人がないか確認してもらった。そのホテルについて、私は移住前には何も知らなかった。

石垣島へ来てからは、友人を通じて友人の知人ともつながっていた。知っている人たちがいる環境で働けるのは、私にとって気楽だったし、このころには寮付きの仕事がいいとも思っていた。

その後、リゾートホテルの面接や寮の準備があり、働き始めるまで約2週間空いた。結果的に、友人宅には約3週間泊めてもらった。

では、その間にほかの仕事を探したのか。

探していない。

部屋を探したのか。

それも探していない。

遊んでました。

しかも、そのリゾートホテルが駄目だった場合の別案もなかった。かなりのノープランである。それでも当時は「どうにかなる」と思っていた。

今振り返れば、若くて身軽だったことも大きかったと思う。何も考えていなかったぶん、ある程度のことをそのまま受け入れられた面もあった。

寮へ移り、実家から届いた荷物を見て「は?」と思った

その後、リゾートホテルで働くことになり、勤務開始に合わせて相部屋の寮へ移った。そのときの感覚は、「なるようになったな」という感じに近かった。

ようやく住む場所が決まり、荷物を送る住所もできた。そこで、実家にまとめてあった荷物を送ってもらった。

届いたのは、服、靴、パソコン、本、CD、DVD、ラジカセなどだった。

食器はない。布団もない。生活家電もない。

届いた荷物を見て、「は?」と思った。

CDやDVDはある。ラジカセもある。

でも、布団がない。

足りない生活用品は、石垣島で買った。そうやって少しずつ生活が始まっていった。

ただ、今振り返っても、「必要なものがそろって、暮らしが整った」という感じではない。どちらかといえば、暮らしに慣れていった。

そして、「これはなくてもいいや」と思うものが増えていった。

全部そろったから生活できるようになったというより、あるもので暮らすことに慣れていった、というほうが近い。

「行ってみたら何とかなった」。でも、一人で何とかしたわけではない

石垣島へ移住したころのことを今振り返っても、「行ってみたら何とかなった」と思う。

最初の仕事は約1週間で辞めた。次の仕事も、その先に住む場所も決まっていなかった。ホテルが駄目だった場合の別案もなかった。

それでも、結果として石垣島での暮らしは始まった。

ただし、これを「仕事も住まいも決めずに行けば、何とかなる」という話にはできない。

私には、最初に泊めてもらえる友人宅があった。友人を通じて次の仕事につながり、その仕事には寮があった。友人や友人の知人がいる環境もあった。

そして、当時の私は若くて身軽だった。何も考えていなかったぶん、ある程度のことをそのまま受け入れられた面もある。

「何とかなった」のは事実である。

でも、その「何とか」の中には、友人宅も、人とのつながりも、仕事も、寮も入っている。一人で何もないところから生活を成立させたわけではない。

そこを抜いてしまうと、ずいぶん違う話になる。

私の石垣島移住は、きれいに準備して始まったわけではない。かなり行き当たりばったりだった。

ただ、帰るつもりはなかった。

そして周りに支えられながら、気づけば石垣島での暮らしが始まっていた。

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